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by tanemaki_azumino

7月 10日 原発を国民投票で問う~前原誠司

7月 10日 原発を国民投票で問う~前原誠司

7月6日朝日新聞朝刊のオピニオン~争論のテーマは「原発を国民投票で問う」。
今井一氏(ジャーナリスト)と前原誠司氏(民主党衆議院議員)のまさに争論。

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今日は前原誠司氏の意見をご紹介。
今井一氏の意見はこちら7月7日ブログからご覧ください)

オピニオン~争論「原発を国民投票で問う」(2011.7.6 朝日新聞朝刊)

   国民が直接決めるべきか
   議会と両立できるか
   二元論は避けられるか

「自か黒か」の単純化は危うい
衆議院議員 前原 誠司さん 
(62年生まれ。民主党代表、国土交通相、外相などを歴任。外交・安保、憲法問題の論客としても知られる。衆院当選6回。)

 国民投票には慎重であるべきだと考えます。イエスかノーか、自か黒かという二元論には、危うさがあるからです。

 いま「脱原発」を問う国民投票を実施すれば、福島第一原発事故の当事国として、他国以上に「原発はない方がいい」という結果が出るでしょう。しかし、国民は何をもって判断するのでしょう。原発の問題をイエスかノーかという二元論で決められるでしょうか。
 原発について私は、20年なら20年と期間を区切って徐々に止めていく、しかしその間は安全性を高め、代替エネルギーの導入で経済全体に大きな影響を与えないよう民主党憲法調査会長衆院議員にし、さらにこれを日本の新たな強みにしていくような「電源のベストミックス」を提案していくべきだと考えています。

 しかし、私と同じ意見の人は、どう投票すればいいのでしょう。電力供給の約3割は原発です。現状ですべて停止したら、経済的な混乱は避けられません。ですから、単純に「ノー」とは投票しにくい。「イエス」とも投票しにくい。政策とは、ある側面からだけ切って判断できるものではありません。さまざまな前提条件や注釈をつける人は多いはずです。イエスにしても注釈つき、ノーにしても注釈つき。しかも両者の間には様々な考え方が存在します。

 それなのに国民投票を行ったら、結果は「どちらか」になってしまう。国民投票のこわさは、前提も注釈もなしに、国民の意思をイエスかノーかに単純化してしまうことにあります。

 日本は間接民主主義の国です。主権者である国民が意思表示をするのは、衆院選か参院選で一票を投じることです。

 国民が選んだ議員が議会を構成し、国民の代弁者として法律や予算を議論し、決定する。原発の今後についても、プロフェッショナルたる政治家が知恵を絞り、判断し、しっかりと国民に説明する。判断の是非は、次の国政選挙で国民の審判を受ける。そういう制度ですし、政治家はその気概でことにあたるべきです。

 かつて、臓器移植の拡大を認めるか否かが大きな議論になりました。私たち国会議員は医師、生命倫理学者、宗教家などから話を聞き、A案からD案まで、相当な時間をかけて精査し議論しました。

 まさにプロフェッショナルな政治家として判断を下すというプロセスを持ったわけですが、すべての国民にそれができたでしょうか。原発の問題も同じです。 一部はともかく、国民全体が国会議員が行うような複雑な過程と長期の勉強をへて判断できるかというと、現実は難しいと思います。

 住民投票を400件やってきたという指摘もありますが、ダムをつくるかどうかなど地域の問題を扱う住民投票と、国全体にかかわる国民投票とはレベルが違うと私は思います。もし国民投票が多用されるようになったら、政治家の仕事はいったい何なのかということにはなりますね。それを認めることは政治家として自己否定につながるという意識を持っています。

 ただし、まったくだめだとは申しません。もし国民の圧倒的多数が自分たちの意思を国民投票で示したいと言うのなら、否定はしません。でも、いまの日本で原発の是非について国民投票をしろという議論が高まっているという認識は、私は持っていません。

 繰り返しになりますが、二元論の危うさから逃れられるかが、とても大事だと思っています。
(聞き手はともに編集委員・刀祢館正明)

前原さんは、
「イエスかノーか、自か黒かという二元論には、危うさがある」
「プロフェッショナルたる政治家が知恵を絞り、判断する」
というのですが、聞いているこちらが恥ずかしくなります。

こういう政治家を選んできたのは、このわたしたちだからです。


情報を隠して出さず、
イエスかノーかの判断できないようにしているのはだれなんですか?
前原さんはご存知のはず。
by tanemaki_azumino | 2011-07-11 10:50 | 住民投票