3月 28日 “世界の良心”と呼ばれた外交官
2010年 03月 29日
3月 28日 “世界の良心”と呼ばれた外交官
今日はこれを、と決めてテレビを見ることはほとんどありません。
だいたいが専念してテレビを見ている暇がない・・・
家事をしながらテレビを見るというか、
キッチンに入ると習慣みたいにしてスイッチを入れてしまうのですね。
でも、そんなテレビでもたまには「いい出会い」があるもんです。
今日はNHK総合の5分間番組
世界と出会った日本人「“世界の良心”と呼ばれた外交官 安達峰一郎」
NHKホームページより
安達峰一郎は、東京帝大在学中、日本政府が招へいしたイタリアの国際法学者・パテルノストロの通訳を務めた。国際法への目を開かれ、1892年外務省に入省。初任地のイタリアで師と再会し、国際交渉のノウハウを学ぶ。1905年のポーツマス講和会議では、小村全権の通訳と条約草案の起草にあたった。第一次大戦後、オランダのハーグに常設された国際司法裁判所の判事に。その後所長となり、“世界の良心”と賞賛された。
恥ずかしながら、安達峰一郎の名前は初めて知りました。
今夜、テレビのスイッチをあのタイミングで入れなかったら、
この先もずーっと知らなかったかもしれません。
この偶然と安達峰一郎に感謝。
それから、
ハーグにある国際司法裁判所の建物は、
カーネギーホールで有名なアメリカの鉄鋼王アンドルー・カーネギ―が、
私財150万ドル(時価で約100億円)を投じて寄贈したものだそうで、
そんなことも初めて知りました。
今日はこれを、と決めてテレビを見ることはほとんどありません。
だいたいが専念してテレビを見ている暇がない・・・
家事をしながらテレビを見るというか、
キッチンに入ると習慣みたいにしてスイッチを入れてしまうのですね。
でも、そんなテレビでもたまには「いい出会い」があるもんです。
今日はNHK総合の5分間番組
世界と出会った日本人「“世界の良心”と呼ばれた外交官 安達峰一郎」
NHKホームページより
安達峰一郎は、東京帝大在学中、日本政府が招へいしたイタリアの国際法学者・パテルノストロの通訳を務めた。国際法への目を開かれ、1892年外務省に入省。初任地のイタリアで師と再会し、国際交渉のノウハウを学ぶ。1905年のポーツマス講和会議では、小村全権の通訳と条約草案の起草にあたった。第一次大戦後、オランダのハーグに常設された国際司法裁判所の判事に。その後所長となり、“世界の良心”と賞賛された。
恥ずかしながら、安達峰一郎の名前は初めて知りました。
今夜、テレビのスイッチをあのタイミングで入れなかったら、
この先もずーっと知らなかったかもしれません。
この偶然と安達峰一郎に感謝。
それから、
ハーグにある国際司法裁判所の建物は、
カーネギーホールで有名なアメリカの鉄鋼王アンドルー・カーネギ―が、
私財150万ドル(時価で約100億円)を投じて寄贈したものだそうで、
そんなことも初めて知りました。
by tanemaki_azumino
| 2010-03-29 00:47
| 折々の暮らし